覚悟

耀稀僧侶になるかもよw

今日はご先祖供養でお世話になってる
山梨のお寺に行ってきました^^

 

今日も素晴らしすぎる
法要で、いつも耀稀は
助けられています。

 

で、毎月通いすぎて、
そして、なんか流れなのか
なんなのか、

耀稀も僧侶にならないか

という暗にお誘いが
あり、、、、

どうしよっかな~、

でも、お役に立てる人
増えるなあ・・・

なんてちょっと前向きに
考えてますw

 

「デメリットはほとんど
ないと思います!」

とw

 

なるなら、大学に編入したり
まあ色々とやることはあるし、

実際に修行していく、という
ことになるようなのですが、

将来的にマジで、僧侶に
なるかもしれません!!

 

乞うご期待w

 

でね、そのお寺では、
因縁浄化供養というのも
やっていて、

過去、過去生において、
過ちを犯したことに対して
謝罪して浄化する、

という供養なのです。

 

過去はともかくとして、
過去生に犯した過ちを
覚えてないのに、
自分が謝るって
なんか理不尽な感じが
しません?

 

あるいは、自分が
どう考えても、
100人に聞いたら100人
があなたが正しい、と言われる、

いわゆる

逆恨み

みたいなものをされてると
したら、

それを自分が謝るって
理不尽な感じがしません?

 

でもね、これに対して、

いやしょうがないじゃん

って自分をいくら正当化しても
解決しない。

 

謝り続けるしか道はない。

 

「そういう気持ちにさせて
しまったことに対しては
ごめんなさい」

 

だけど、謝ることと、
罪悪感で自分を貶めることは
違う。

 

罪悪感で、償いの気持ちで
謝る

ではなく、

堂々と、

「そういう気持ちにさせて
しまったことに対しては
ごめんなさい」

でいい。

 

自分も他人も罪人に仕立て
あげないことが重要。

 

たとえどれだけ周りが
自分のことを罪人に仕立て
上げようとしてきたとしても

罪人に成り下がらない

 

逆に、自分がどれだけ
相手のことを罪人に
仕立て上げたかろうが、

罪人に成りさげない

 

自分を罪人になりさげた
瞬間に、

そんな自分のことを
大好きと言ってくれてる
人のことまで

無自覚に成り下げることに
なる。

 

他人を罪人になりさげた
瞬間に、

自分も罪人を作った人に
成り下がることになる。

 

罪というわかりやすい
罰で、自分も他人も
成りさげやすい仕組みの

この泥のような
世の中だからこそ、

 

泥の中で美しく咲く
蓮華のように、

泥に染まらず、
むしろ泥を養分にして

真っ白に美しく
咲いてやれ。

 

それが唯一僕たちが
他人に対してできる
貢献なのかもしれない。

 

カルマというパターンを
繰り返す、

歴史の再生者に
なるのではなく、

カルマというパターンを
超えて、

歴史の超越者に
なろう。

 

泥の中でこそ、

真っ白に咲く勇気を。

真っ白に咲く覚悟を。

真っ白に咲く誇りを持て。

 

一緒に超えていこうね^^!!

 

今日は以上です!!

 

今日も最後までお読みいただき
ありがとうございました!!

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