”この人のこういうところやだ~!”
みたいな部分ありません?
特にこの部分許せない!
的なものでもいいかな~と思うんですが。
で、お師匠様に教わったのが、
嫌いは反転させて武器にしろ
って話。
まず嫌いな人を書き出して、
と言っていただいた時に、
出てきたのが、
- されて当たり前の
感謝がない所が嫌い - 計算だけの心が通っていない
上辺だけの人が嫌い - 恩義を忘れる人が嫌い
- 世界は自分を中心に回ってると
思ってる人が嫌い - 小せえ癖にカッコつけるやつが嫌い
- ブランドモノで自己肯定感を
上げてるやつが嫌い - 小馬鹿にして見下して
くるやつが嫌い
うん、これ全部自分にも
あるなあと思うのですがw
で、これらをよく言うと、
- 威風堂々
- 勇者
- 王族
- 支配者(いい意味の)
- 威厳
ってなります。
こうやって反転させると、
自分がいかに、
威厳
を遠ざけていたのか、が
わかります。
威厳を持つことで、人が離れると
思っていた、
威厳を持つことで、偉そうと
思われるんじゃないかと思ってきた。
威厳を持つことは人を脅かすことで
恐怖で人を支配することだと
思ってきた。
こんなふうに
威厳
に対して、変な解釈がくっついてたんだな~
と気づくんです。
でもよくよく考えてみると、
威厳
が欲しかったことにも気づく。
僕、よく心の声として
出てくる言葉があって、
「俺を認めろよ~!」
「無視すんじゃね~よ!」
「俺を見ろよ!俺だけを見ろよ!」
・・・・・
うん、結構俺様気質w
そうやって、残念な自分に気づき、
あ~威風堂々と威厳を持って、
頼れる王をやりたかったんだな~って
気づき出す。
威厳を持つことは、
人が離れることではなく、
人がたくさんついてくること。
威厳を持つことは偉そう
と思われるのではなく、
頼りになる、と思われること。
威厳を持つことは
人を脅かすことではなく、
人を救うこと。
王だもんね。
解釈は無限、
どの解釈もごもっとも。
それが腑に落ちさえすれば、
威厳のある、そしてこれまで培ってきた
親しみやすさと配慮すら武器にする、
そんな王をやればいい。
そんなことに気づき出す。
嫌いなものを嫌いなまま、
遠ざけることは
それ自体は悪くない、
排除し続ける人生も別に
あってもいい。
だけど、嫌な人、嫌な部分、要素、
を排除する生き方は、
まるで、腐った部分を
切り落とし続けて
食べられる部分がほとんどなくなる
お肉のよう。
嫌なこと、嫌いなこと、排除したいことほど、
反転させて武器にすれば、
器は広がる一方。
部下は器量、
王は度量。
器を広げるは王への道、
帝王となることで、
愛もお金もチャンスもサポートも人脈も
全部全部手に入れちゃう。
これが今僕が学んでいる、
帝王学。