目覚め

心配力の使い方

「心配」と聞いて
どんなイメージがあるでしょうか?

 

僕は個人的に
「心配」というワードに対して
結構ネガティブなイメージがくっついてたんです。

「心配する」ってこうなんかちょっと
心配より信頼してよ~、みたいな風に
思ってた性質ではあるんですけれども

その心配っていうのは
「心を配る」って書きますよね。

つまり
「心配り(こころくばり)」が
すごく大切になってくると
いうことなんですけども

まったく心を配られてないっていうのは
それはそれで 寂しいものかなと思うわけです。

たとえば

「私こうこうこういう風なことがあって
これからうまくいくかわからないんだけれども、大丈夫かな~?」
と相談された時に

「大丈夫、大丈夫!
 なんとかなるよ~、大丈夫!」
っていうのを、無責任というか
適当に言われたって感じると
寂しい気持ちってあるのかな っていう
感じがするんですよね。

そうではなくて

心を配って

「そうだよね
 未来に対して不安とか
心配になるっていう気持ちはわかる」
というようなスタンスで

その相手が思ってるであろうこととかに
心を配り

その上で
「でも、あなただったら大丈夫
 私はあなたを信じてる」

と、心を配った上で
その上で「大丈夫」と言うのか

同じ「大丈夫」と言うのでも全然、
相手に対しての入り方も違うし
信頼関係の構築も全然違うっていう感じなんですよね。

だから
心配して
「心配だからあなたやめなさい」って言って
相手の未来を奪うとか
相手の未来を潰すために
心を配る、心配の力を使うのか

それとも、相手に対して
心を配った上で「大丈夫だよ」っていう風に
相手を後押しするのかはもう全然
使い方が違うかなという風に思います。

言い方を変えると
心配になるぐらい
未来のことを見通せる力がある
っていう事です。

そうやって
この未来のことを見通せる力が
特に女性の方なんかは一瞬にして
未来の心配に対して
心を配れるわけですから

逆にそこをリスクヘッジとして
「こういうことが起こったらどうしよう」が浮かびやすい
ということは逆にそこに対して
リスクの対処ができるということなんです。

先回りをしたり
「じゃあ今のうちに、これしとこう」とか
特に細やかにできるのが
「心配」のいいところかなという風に感じています。

ですから
心配を活かすために使う

たとえば包丁を
料理を切るために使うのか
それとも
相手を傷つけるために使うのか

同じ包丁でも
使い方によって
相手を活かす方に使うのが
それでも殺す方に使うのかは変わってきます。

同じように
心配っていうのは
心配自体には悪い意味はなくて

心を配ってるんだよってこと
それは愛の証明なんだよってことがあるんですけど

心配を相手の未来を生かすために使うのか
それとも相手の未来を潰すために使うのか

どっちの目的で今使ってるかな っていう風に
自覚をしていくこと。

そうやって自覚をすると
使い方が変わってきます。

結果として
心配っていう力を
心配力を活かす

人を生かす方に使ってくるかなという風に思います。

ぜひぜひそんな心構えで
心配
心を配り
心配力を使ってみてください。

今日も最後までご覧頂きましてありがとうございました!

 

今日は以上です!!

 

いつもあなたを
応援しております^^

 

それではまた!!!

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