目覚め

人を傷つけるのが怖いのは宝への入口

「傷つけたくない」

 

誰しも、そう思うんではないでしょうか?

 

もしあなたが自分がただありのままで
生きているだけで、

思った通りに発言しただけで、

誰かを傷つける結果になったとしたら、

その自分を抑えようとしてしまうのは
ごく自然なことかもしれません。

 

子供の頃、ただ思ったことを言った
だけなのに、

ただ感じたままを表現しただけなのに、

誰かの傷になった。

 

ワタシの言葉は誰かを傷つける。

 

そうして、いつの間にか、
そのヤイバを悪だとジャッジし、
誰も傷つけないように、

鋭利な刃物を
丸くするために、
包帯でグルグル撒きにした。

 

もう二度とこの刃が表に
出てこないように。

もう誰もワタシの言葉で
傷つかないように。

 

でも包帯で、グルグル巻きに
されてたら、ワタシは息ができない。

 

他人にヤイバを向けない代わりに
ワタシはワタシを殺した。

 

もしそんなことがあったとしたら、

「本来の自分で生きろなんて無理」
「ワタシはいるだけで人を傷つける」
「偽りの自分で生きないと、
うまくこの地球で生きられない」

そう思うのも無理はないかも
しれません。

 

僕のクライアントさんは意外と
こういう方も多い。

 

でね、いつもこういう方々に
話すんです。

 

「あなたは自分の言葉に
力があるって知ってるんだね」

 

ヤイバは時に道を切り開く。
包丁は食べ物を食べやすく分解
してくれる。
刀は闇を切り払ってくれる。

 

力があること自体に善悪はない。

 

その力を人を傷つけるために使う
のではなく、

誰かの第一歩を強烈に押し出すために、
誰かの道を切り開くために
使うこと。

それが使えれば、それこそ、
自分の道を切り開ける

し、

傷つけること自体は悪じゃない。

 

傷つくことでしか得られない、
見つめられない、見つけられない、
自分がいる。

 

僕はね、思うんです。

 

本当の意味で魂には傷が
つかないようにできてるって。

 

傷ついた、と言っているそこは
まだ守られてる皮の部分、

僕にはキャベツのような緑色の
葉っぱで守られてるように見えるけど、

そこが傷ついてるだけ。

 

むしろ、そのキャベツの歯に
ヤイバを通すことで、包まれた
本来の自分が姿を現す。

 

自分が本当の自分を見つけ出せたら、
そこにいる案外強い自分が発見できたら
その傷は、本当の自分を見つけるための
ものだったと腑に落ちる。

 

大丈夫、案外自分も人も守られている。

 

傷ついた、と捉えたその感覚は、
もしかしたら本当の自分と対面するための
出来事だったのかもね^^

 

こう考えると、自分がヤイバであること
は案外イケてることかも。

 

誰かの道を切り開く、そんな自分の
尊さに思いを馳せてみてください^^

 

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