覚悟

価値の超越が奇跡を起こす

満月で出て来るがままに感じきって
そして気づいたこと。

 

「価値があるとかないとか
 っていう価値観を超越する」

という大切さ。

 

ネガティブ側の意見だと、

「存在する価値がない」
とか
「役に立たないと価値がない」
とか
「この場で私は価値がない」
とか

よくそういう意見を聞く。

 

ポジティブ側の意見だと、

「いるだけで価値があるよ!」
とか
「自覚してないけど十分価値を
 提供しているよ!」
とか
「これ価値すごいあると思う~!」
とか

よくそういう意見を聞く。

 

だけど、結局、たどり着いた結論は、

”価値があるとかないとか
に左右されなくて良くね?”

ってこと。

 

まず価値があるかないか決めるのは、

自分であり、
他人であり、

だよね。

 

自分が価値あるけど相手がないと
思ってる場合もあるし、

自分が価値ないと思ってても
相手があると思ってる場合もあるし、

自分も相手も価値があると思ってる
場合もあるし、

自分も相手も価値がないと思ってる
場合もある。

 

価値があるとかないとかは
主観であり、世間の意見で
価値があるとかないとかあるかも
しれないけど、

それすら世間の主観でしかない。

 

で、そもそも、

価値がある

だから

とか

価値がない

だから

とか、

 

いやいやいやそこで
”だから”という接続詞を
使われるのがなぜ?

となる。

 

価値がある、から
やるの?

 

価値がない、から
やらないの?

 

自分の行動は、

価値があるかないか

でやるかやらないか
判断するの?

 

自分のいる場所は、

価値があるかないか

でいるかどうか
判断するの?

 

あなたの気持ちは?

 

価値がないと自分が
思ったって、
やったっていい!

 

価値がないと相手に
思われたって
やったっていい!

 

価値があると自分が
思ったって
やらなくていい!

 

価値があると相手に
思われたって
やらなくていい!

 

やるかやらないか、
いるかいないか、

それは価値があるとか
ないとか関係ないし、

大概それは自分の本当の
気持ちから逃げてる。

 

ただ一つ、

あなたの気持ちはどこ?

 

価値があるとかないとかで
やるとかやらないとか
いるとかいないとか
決めてるんだとしたら、

それは

”価値”という判断基準に
惑わされる、

他軸の世界で、
言い訳の世界

だよ?

 

・・・・・・・

 

と自分で書きながら
一番自分に言ってますw

 

今までを振り返ると、

価値があるから
とか
価値がないから

で行動やいる場所を決めて
きた自分がいたなあって。

 

だからワクワクしなかったことも
多かったんだろうし、

逆にいうと、ワクワクしなくても
行動できたんだよね。

 

風の時代はもっと自由に、って
いうけれど、

自由ということは、
誰も評価もしてくれない、ってこと。

 

これやっていい?って言っても、
好きにしたら?と言われる。

これやめてもいい?って言っても、
好きにしたら?と言われる。

 

人は評価に基づいて行動を決定
したがる。

誰かが、

やれって言ったらから
やめろって言ったから
価値があるって言ったから
価値がないって言ったから

と他人のせいにして、
他軸の世界で生きてる。

 

その方が楽だからね。

 

だけど、風の時代、というのは
他人のせいにしてると、
他軸にしていると、

どんどんどんどん

使う側と使われる側の差が
開いていく。

 

お師匠様の言葉で大好きな言葉が
あって、

「自分のせいにも人のせいにもしない世界」

 

自軸に戻ることで、
主語を自分にすることで、

これらは全て叶っていく。

 

価値があるだとかないだとか
そんなことは何かをやるのに、
どこにいるかに、

関係なくなってくる。

 

その評価軸を取っ払ったときに
あなたはどこにいたいのか、
何をしたいのか

ぜひ考えるきっかけに
してくださると嬉しいです^^

 

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