”自分なんてまだまだです”
という言葉をもし、
卑屈
になって言ってるのだとしたら、
それは謙虚なことではなく、
傲慢なことなのかもしれない。
お陰様で、周りには素敵な方々
ばかりいて、
だからこそ、自分のできなさっぷり
に辟易する。
と同時に、
圧倒され、
打ちのめされる。
自分の描いてしまってる
ビジョンの大きさと
己の器の小ささの差に
絶望するばかりだ。
でもそれでいい、
それがいい。
圧倒的に、世界に、世間に
相手に
打ちのめされることは
とてもとても幸せなことだ。
本当に本当に偉業を
成し遂げようとしたら
人並み以上の成果、結果を
えたければ、
打ちのめされることが
必要だ。
打ちのめされ、できない自分に
出会わされるのは、
希望だ。
できるようになっていく自分を
そのプロセスを観れる
祝いにもなる。
打ちのめされた時は、
「ほんと自分って何もないな」
とか
「ダメだな」
とか
「あの人に比べたらマジで
まだまだだな・・・」
と思う。
が、それを自分責めという名の
独りよがりの悲劇のヒロインを
やるために使うのか、
世界、世間、相手へのリスペクトと
負けを認める潔さ、
成長できる余地として
受け取り直せるのか。
自己否定をやめよう!
ありのままの自分でOK!
とよく言われるけど、
ビジョンが大きければ大きいほど
打ちのめされることは
必要だと僕は感じている。
自分は何者にでもなれて、
そしてなれない者にも助けてもらえて
でもそれは圧倒されるからこそ
可能になる。
鼻を折れ!
敗北しろ!
その数だけ、あなたのビジョンは
現実に近づいていく。
負けを認めることは
勝ちをいただけることだ。
その潔さと素直さに
人は感化され、惚れていただき、
結果、全てが手に入るよ^^
一緒にやっていこうね^^
今日は以上です!
今日も最後までお読みいただき
ありがとうございました^^
それではまた!!