「もう嫌だ、消えてしまいたい!」
「全部終わりにしたい!」
人間は、究極のところ、
生きるか死ぬかという選択を
常に自分自身に迫っているし、
言葉を選ばずにいうと、
自分がやりたいことより
他人や社会が求めるやるべきこと
やった方がいいことを優先し、
結果的に毎日消極的な自死を
している。
でもそれは、実は、
生きることに無自覚だから
起こることなんだ。
今から質問することに、
真剣に答えてみて欲しい。
・・・・・・・
「もしあなた以外の人類が
絶滅したとして、
あなたは生き続けるだろうか?」
・・・・・・・
もしこの答えに、
NOだったり、
「生きたい」
という答えだった場合は、
「生きる」ことを
そもそも決めてない。
僕たちは、思ってることと
やってることが一致してる時、
ノーストレスで一致感を
感じる。
だから、
「何か行動するぞ!」
と思って、
「実際に何かを行動できている」
と、
ノーストレスだし、
充実感を感じるし、
誇りを持てる。
だけど、
「やるぞ!」と思って
行動しなかったり、
逆に、
「やりたくないのになあ」と
思いながら行動したり
していると自己不一致感で、
もやもやする。
もやもやの原因は大体
自己不一致感だ。
全てのものは、
目的があって生まれてくる。
コーヒーを入れたくて、
コーヒーカップは生まれるし、
紙に書きたくて、ペンは生まれる。
だけど、人間は、そもそも
誰の何の目的で生まれたのか
自分で自覚していないのだ。
つまり、実在が先で、
目的があと。
だから、
生きる
ってことを決めなくても、
生きてる
って状態が先にあるから、
こんがらがるんだ。
「生きたい」って思いながら
生きてることも、
(たいって言ってるときは、
やるって決めてない時だから)
「たった一人になるなら
死ぬかな」と思って
生きてることも、
両方、自己不一致感で
苦しくなるんだ。
実在が先だから、
こういった状態になることは
ある意味しょうがないこと
ではあるんだけど、
このカラクリに気づいているか
が重要。
つまり僕たちは、
自覚的に、
「生きる」
ということを決めることなく、
生きているという状態が
先にあるってこと。
だからこそ僕たちは、
人生のどこかのタイミングで、
「生きる」
ってことを決める必要が
あるってこと。
先ほどの話で言うと、
「もしあなた以外の人類が
絶滅したとして、
あなたは生き続けるだろうか?」
という問いに、
「生きるって決めてる」
あるいは、
「生きるってもう決めた」
この状態になれるかどうかだ。
そこから本当の意味で、
自分の人生が始まる。
人のためには生きれるのに、
どうして自分のために生きようと
しないんだろう
なきゃべきした方がいい
は全て他人や社会に生きる責任を
押し付けている言葉だ。
あなたは
どうしたいのか。
あなたは
何がしたいのか。
あなたは
どう生きるのか。
私は宇宙の創造主だ。
一人一宇宙。
そこには、比較ではない、
最高位、創造主である
神たちが共存し合う世界
がある。
そのモデルが、八百万の神
なのだろう。
みんな神。
私が創造主であること、
宇宙の最高位であることを
思い出せば、
同じくその方の宇宙の最高位
である、相手
も尊重できる。
全ては
わたし
から始まる。
今日も最後までお読みいただき
ありがとうございました!!
それではまた!!