よくお伝えすることでは
あるのですが、
「アウトプット前提の
インプット」
というものを大切に
しています。
体感レベルで、
アウトプット前提の
インプットは
インプットのみよりも
効果が10倍以上あると
感じております。
昨日、僕のように
自己認識学アウェイクニング
を広めることができる
コンダクターを養成する講座
をやっていたのですが、
そのクライアント様も、
受講生側の時よりも、
お伝えする、という前提で
もう一度テキストを読み返して
いただいた時に、
今まで以上に情報の
インプットがあったように
見受けられました。
昨日、易学の講座も受けて
まして、
そこでも、
「まず占ってみましょう」
と、占いの実践が
ありました。
その時でた結果については、
みんなでガヤガヤ、
そして先生とガヤガヤ
喋っただけだって、
ものすごいエピソード記憶に
残っています。
以前僕は、易学を、
ユーキャンの講座で学びましたが、
その時よりも深く深く
入ってる気がします
(ユーキャンが内容薄いとか
ではなく、単純にアウトプットの
環境が整っていたので)
また、音楽も、
実際に歌ってるところを
SNSで発信したり、
自分が作った曲を
SNSで発信したり、
10月24日にライブ
やることに決めたことで
曲を実際に作ったり、
こうした活動を今年始めて
初めて、音楽理論が
理解できた、というのも
あります。
だからね、大切なのは、
アウトプットの場を持つこと、
できれば講師とかやると
いいよね、って感じる。
で、これは、誰もができるけど
全員がやるわけではないこととして、
例えば、
最近勉強したネタのシェア、
とか、
最近読んだ本を
レクチャーするつもりの
シェア会
とか、
最近学んでることの
シェア会、
とか、
まあコンテンツによっては、
秘密保持のものもあると
思うので、
同じコンテンツを学んでる
人同士のシェア会
とか、
あるいは、
一人で、ぬいぐるみ相手に
講義してみるとか
(実際、僕はやったこと
あります)
一人でカメラに向かって、
まるで今ライブしてるかの
ように喋ってみるとか、
そういうアウトプットの場を
自分に与えて差し上げる、
ってのがとてもとても
大切。
学んだものを自分が使える
だけではなく、
人に教える、まで意識すると、
理論に自分なりの言葉が
与えられて、
形而上の概念が
形而下に落ちてくる。
昨日易経で学んだばかりの
知識だけど、
この世には、
生数と成数
という概念があり、
水は、1という生数を
持っている。
そこに、人間という認識が
入って、
(人間という意識は、
5になります、
五感とか、人間とは、
五のフラクタル構造なので)
水は、6という成数になる。
6は完全数。
魔が入らない、隙がない
という数そのもの。
だから、水の結晶は全部
六角形なんだ。
1という、まだ形になってない
水
という性質は、
人
という媒介を通して、
水
という物質になる。
学んだものも、
自分
という媒介を通じて、
知恵
という扱い可能なもの
になる。
学んだものそのものは、
叡智ではあるけれども、
まだ形而上にあるもので
使えるものではない。
自分という媒介を通じて
初めて取扱可能、
伝達可能なものになるんだ。
だから、学ぶ、ということは、
インプット、ではない。
インプットとアウトプットが
セットで、学ぶ、ということ
なんだろうね。
食べる、ということの定義も、
食物を取り込むことと、
排泄することが
セット
なのかもね。
小難しい話を挟みましたが、
まあ要は、
アウトプットの場を作って
インプットしよう!
って感じかな^^
僕もますます
学びます~^^
今日は以上です、
今日も最後まで
お読みいただき
ありがとうございました!!