目覚め

依存って悪いこと?

ここ数日、感情がグワングワンと
色々動いていて、内観して感じて、
解放して、を繰り返していました。

 

今だから言えるけど、僕は、
本当は人と深く関わりたい、
でも深く関わるのが怖い、

という感覚でした、、、

 

クライアントに、感謝を伝えられても、
どこか他人事で、

チャネリング等も使ってアドバイスも
するので、

どこか自分自身のようで、
自分でないものから
アドバイスをしているような
感覚でもある。

 

だからこそ、感謝されても
受け取れなくて、
受け取らなくて、

それは自分が変えたんじゃなく、
どこか他人が変えたんだ、と。

 

でも潜在的には、それは本当は
愛を受け取るのが怖いから
そうなっていただけ。

 

愛を受け取ってしまったら、
その純粋なる感謝のエネルギーに
触れてしまったら、

そこに依存してしまいそうな自分が
怖かった。

 

まだ体験したこともない、

当たり前のように信頼されている

という世界が怖くて怖くて
しょうがなかった。

 

自分は、自分が思う以上に愛されていて
信頼されていて、そしてその愛が怖くて
拒絶してきたという事実に目を向けるのが
怖かった。

 

だから、どこか他人事にしていたし、
そして、

セッション力があるからでしょ とか
なんでも器用にできるからでしょ とか
なんでも受け入れてくれるからでしょ とか

そんなふうに、

自分自身

ではなく

自分に付随していた能力や
性質に人は惹かれてるんだっていうふうに
捉えていた。

 

ただあなたが大切だよと言われるのが
怖くて、

ただあなたが必要だよと言われるのが
信じられなくて、

何かを提供していなきゃ、
何か役に立たないと、

いるだけでいいなんて、
存在を愛してもらってるなんて、

そんな世界なかったことにして
おきたかった。

 

でも気づいてしまった。

 

本当は、ただ自分自身がそういう
世界に生きるって決めてしまっていた
だけだし、

本当は、愛を受け取るのが怖かったけど、
最初からみんな、

自分という存在を無条件に
肯定してくれていて、

そして自分は思った以上に
どうやら愛されている

ということが。

 

だから肚を決めた。

 

愛と信頼を受け入れ、
僕も世界に腹を開く世界を
生きることを。

 

受け入れられなくてごめんから
今までずっと信じてくれていて
ありがとうへ。

 

依存するのが醜いと
依存したがる自分に蓋をして、

無条件に信頼して甘える自分は
悪だと、

そのせいで、失ってきたものが
ある、と決めつけていたからこそ、

依存したがる自分に向き合った。

 

依存したがる自分はどんな性質で、
どんな感覚で、
どんな人なんだろうか、

と。

 

僕は、依存というのは、

「あなたがいないと僕は生きて
いけません状態」

でそれが、あまりよろしくない状態、
どちらかというと、卒業しないと
いけない状態、

というように定義づけていました。

 

だけど、この世界を信頼していて、
守られてる、愛されている、

”何かを失うということがない世界”

を感じたまま依存したがる自分
感じてみると、

そんなに悪い感じはしませんでした。

 

僕の思っていた依存とは
性質が違って、

ただの、”大好き”の表現方法の
一つなんだと。

 

愛してるから、信頼してるから

依存したがる。

 

自分にとっての依存とは、
愛の表現方法の一つなんだ。

 

そうやって依存する自分を
感じ、愛することができたことで
なんかスッと溶けて、

これから先、愛を受け取って
依存しそうな自分が出てきたとしても、

それは悪いやつじゃない、
誰かを傷つけるやつじゃない、
誰かに迷惑をかけるやつでもない。

 

いなくなることに恐怖を覚え、
いなくならないでという願いから
発する依存ではなく、

いることを信頼して、
すべては一つであることを信頼して
失わないことを信頼して

その上で身体を預ける依存は
多分美しい

 

信頼すればいい、
ただ信頼すればいい、

怖かろうがもう一度傷つこうが、
それでも肚を決めて
信頼すればいい

 

そしたらきっとただの
愛情表現としての依存が
顔を出すと僕は思います^^

 

いかがでしたでしょうか?

 

多分に僕の体感レベルの話
なんですが、

依存

って子を少しでも赦して
好きになってもらえると
嬉しいです^^

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